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第3章 24 
バナナは生きていた

 翌日、学校の帰りに美代子さんは鼠捕りを買うためにレオさんの店に立ち寄りました。鼠捕りは、鼠が餌に触れると金属のバネがバチンと鼠の首を直撃します。はがきくらいの大きさの簡単なしかけですがバネの力は強く、間違って美代子さんが指でも挟んだら骨が折れるかもしれません。美代子さんがあれこれ鼠捕りを調べていると、一人のパラオ人の若者が近づいて来ました。

 「あなたは美代子か?」若者はぶっきらぼうに尋ねました。美代子さんは頷きました。見たこともない人です。背はあまり高くないものの、がっちりした強そうな体をしています。長めの髪の毛がぼさぼさに逆立っています。今までスピードボートで風に当たっていたのかもしれません。

 「あなた、猫を俺たちの島に置いて来ただろ。困っているんだよ。俺たち、あの島でツカツクリを飼育しているんだ。わかるだろ、ツカツクリは飛べないんだから、猫なんか持ち込まれると本当に迷惑なんだ。」

 若者は不機嫌そうに話します。ツカツクリというのはパラオのジャングルに住む、鶏より少し小さい飛べない鳥です。

 「でもバナナはもう死んだと思います。もうずいぶん経つんですから。」

 「とんでもない。猫は生きているよ。」

    

 美代子さんの心臓は喉まで飛び上がりました。美代子さんは口から心臓が出てしまわないよう、思わず口に手をあてました。

 「バナナは生きているんですか?」

 「もちろん、生きているよ。だから困っているんじゃないか。ツカツクリのいる島に猫を置いておくわけにはいかないんだよ。」   

    

 若者は美代子さんに背を向けて行きかけました。険しい顔をしています。

 「待って下さい。何でバナナが生きているって言うんですか?バナナがあなたのツカツクリを殺したんですか?」

 「いや、猫の足跡が濡れた砂の上に残っていたのを見たんだ。」

 「本当?本当に猫の足跡でしたか?いつ見たんですか?」

 美代子さんの声はうわずり、目が涙で曇ってしまいました。

 「このあいだ夜の漁に出た時、俺たちは島で朝まで仮眠をとったんだ。朝になったら、潮の引いた浜に猫の足跡がずうっとついていたんだよ。」

 怒ったような顔でにこりともしないで話しますが、この若者の受け答えは親切です。怒っているのではなくて、ただそういう顔付きなだけかもしれません。

    

 「殺さないで下さい。捕まえて連絡を下されば必ず受け取りに行きます。大事な猫なんです。島に置いて来たんじゃなくて、私から逃げ出したんですから。」

 美代子さんは手に持った鼠捕りを振り回して足踏みしました。ペットとして動物を愛するという習慣の薄いこの国の人たちに、どうやったら気持ちを説明できるのでしょう。若者は黙ってあごをしゃくるパラオ式の曖昧な挨拶をすると、去って行きました。美代子さんは潤んだ目で手にした鼠捕りを見つめました。もちろん、彼らは美代子さんのためにバナナを捕えようとはしないに決まっています。バナナは殺されるのです。美代子さんは鼠捕りを買って、急いで學校にとって返しました。

    

 「バナナは生きている、バナナは生きている。」

 美代子さんは心の中で繰り返しました。何ということでしょう、バナナはやはり探し回る美代子さんを物陰から見ていたのです。哀れな死骸になって砂の上に横たわっていたわけではないのです。あの若者が正確にいつバナナの足跡を見たのか知りませんが、バナナは何かを食べ、水も飲んでちゃんと生き延びていたのです。美代子さんがバナナのことを思って、めそめそ泣きながら隣の島で暮らしていたというのに。

    

 美代子さんは、あの見も知らぬ若者が何で猫の足跡を正確に美代子さんと結びつけたのか、不思議に思いませんでした。パラオでは美代子さんのわからない不思議なことがいろいろ起こりますし、美代子さんはいつもパラオの人々の恰好の噂の的なのです。

    

 学校に戻ると美代子さんは校長室に直行しました。ロミーさんはいつも遅くまで学校にいます。現に今、学校の駐車場にあるのはロミーさんの車だけです。ロミーさんは鍵をじゃらじゃらいわせて、ちょど校長室を閉めるところでした。美代子さんを見て、大仏様のような顔をにっこりほころばせました。

 「ハイ、美代子さん。どうしました?」

 ロミーさんは、親しい人もなしにパラオに一人で乗り込んできた美代子さんが信頼できる数少ない一人です。美代子さんはロミーさんに何でも相談します。パラオの社会習慣でわからないことを、いろいろ教えてもらいました。

 「ロミーさん、バナナが島で生きていたんです。」

 美代子さんのバナナは、もう名高い存在です。ロミーさんは、ほう、と言うように口をつぼめました。

 「あの島は誰のものなんですか?」
 美代子さんは尋ねました。

 「あの島は・・・・一家が持っているんですよ。」

 ロミーさんは何やら複雑なパラオの名前をいいましたが、美代子さんは聞いたとたんに忘れてしまいました。

 「ペリリュー島の人達です。」

 ペリリュー島は、踊りのうまいビルさんが住んでいる南の方の島です。

 「大きい一族ですよ。息子がたくさんいてね。みんな漁師です。」

 「あの島でツカツクリを飼育しているんですって。ツカツクリをどうするんですか?肉を食べるんですか?」   

 「いや、卵でしょう。おいしいからね。」

 今度は美代子さんが、ほう、と言う番です。

 「バナナがツカツクリを食い殺すかもしれないから、バナナを殺してしまうって言うんです。」

 「ツカツクリは今では数が少ないです。貴重な鳥です。」

 ロミーさんは堂々とせり出したお腹をさすりながら言いました。

 「バナナを殺さないで、捕まえて返して下さいって頼んだんですけど。」

 「でも、バナナは飼い主のあなたにも捕まえられなかったんでしょう?」

 その通りです。島の持ち主は、毒入りの餌でも置いてバナナをあっさり殺してしまうのでしょう。美代子さんはロミーさんと一緒に校舎を出ました。

2010 - present
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オマエ、ツカツクリ?

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