第2章 19
燻製つくり
二人はやがて魚捕りを切り上げて島に帰りました。波の静かなラグーンの中に戻って、美代子さんは水が太ももまでくる深さでカヌーを止めました。先ず、この大量の魚を開いて内蔵を出さなければなりません。魚屋というもののまったくないパラオに来て、美代子さんは魚を処理するのが大変上手になったのですが、いっぺんにこんなにたくさんの魚の鱗を落として腹を開くのは大変です。マイケルさんは銛やバケツをまとめて浜に持ってあがりました。美代子さんはカヌーを海に浮かべたまま、カヌーの横に突き出たバランスのための横木をまな板代わりに使うことにしました。横木の上は平らで広さが充分ありましたし、魚の鱗や内臓をそのまま海に流せばよいわけですから都合が良かったのです。美代子さんは太ももまで海につかって、鋭いナイフを使って立ったままどんどん魚を処理していきました。捨てられた魚の内臓は波に揺られて、美代子さんの脚の周りにプカプカ浮いています。ラグーンは浅瀬ですから大きい鮫は入って来ませんが、気合いで追い払われた鮫のように、子供の鮫なら紛れ込んでくる可能性があります。子供の鮫でも間違って噛み付いたらずいぶん痛いでしょう。美代子さんは超特急の速さで魚の処理を終えました。
美代子さんがやっと魚を全部きれいにしてバケツに入れて浜に持ってあがると、マイケルさんが立ち木の間に松や椰子の葉をどっさり積み上げているのが見えました。美代子さんは、いったい何をしているのだろうと思って近づきました。
「あ、ミョーコさん、終わった?今、火をつけるからね。」
「火をつけるって、何で?」
「だって、魚を燻製にするんでしょ?」
「あっそう・・・・・。その葉っぱに火をつけて、それでどうするわけ?」
「完全に乾ききっていない葉っぱばかり集めたから、火をつけるとすごく煙が出ると思うんだ。そうしたら、このワイヤーネットの上に魚を並べて、こっちの木とあっちの木にロープをかけて、ちょうど火の上にワイヤーネットが来るように調節して吊り下げる。そうすると、魚が煙で燻製になる、というわけ。」
マイケルさんは、森の奥にレオさんが積み上げて放っておいたガラクタのごみの山から拾ってきた錆びたワイヤーネットを、得意そうに手で示しました。ワイヤーネットとは針金で編まれた網で、今マイケルさんが手にしているのはちょうど机くらいの広さがありました。実はこのワイヤーネットは美代子さんも覚えていて、魚を天日干しにするにはあれが役に立ちそうだ、と密かに思っていたのです。
美代子さんは、マイケルさんの考えをとても面白いと思いました。魚の干物を作ろうと思ったときから、美代子さんの頭にあったのは、日本の海沿いの町で昔から行われているように、開いた魚を直射日光に当てて干し上げる、という一番簡単な方法でした。煙でいぶして燻製にしようとは、まったく考えませんでした。一方、マイケルさんは肉でも魚でも干物といったら煙で燻製にしてしまうアメリカの常識に従ったわけです。
「私はそのネットの上に魚を並べて、浜で直射日光に当てて干そうと思っていたんだけどね。」
「いや、煙で燻製にしたほうが断然おいしいよ。」
「オッケー。じゃあそうしましょう。」
美代子さんが賛成したので、マイケルさんは枯れ枝に火をつけました。火はやがて強くなって木の葉をいぶし、もくもくとすごい煙が立ち上ってきました。風下に立つと目がつぶれそうに痛く、呼吸もできません。二人は涙をぼろぼろこぼして咳き込みながら、やっとネットをちょうど良い場所に吊り下げました。風が吹く度に煙の流れる方向が変わり、いつもネットの上の魚に煙が当たるようにするのは容易ではありません。火を調節し、始終変わる風の向きに合わせてネットの位置を動かし、魚を度々ひっくり返し、燻製造りはなかなか大変な作業でした。煙の臭いがすっかり肌や髪に染み付いて、美代子さんは魚と一緒に自分自身も燻製になってしまったように感じました。午後いっぱいかかって、干物はできあがりました。
作っている最中から気が付いていたことですが、残念ながらこのピンクの魚は実にまずい魚でした。美代子さんは、パラオに来てから珊瑚礁に群れるいろいろな熱帯魚を捕まえて食べてみましたが、こんなに味のないまずい魚は珍しいと思いました。日本の漁村で作る単純な天日干しの干物は、魚がおいしいからこそできることだったのです。