第2章 16
友達、来訪

雨宿りの美代子さん
それから2・3日が過ぎました。相変わらず風が強くて、二人は島に閉じ込められたままです。大変有難いことに、二人が島に来て以来2・3日おきに降水がありますので、飲み水や体を洗うための水の心配はまったくありませんでした。マイケルさんは雨が降っても構わずに濡れながら小屋作りを続けていますが、美代子さんは雨の最初の一滴が落ちて来たら、直ちにテーブルの上の本や紙を片付けてビニールシートをかぶせなければなりません。それからごみ用の大きなビニール袋の底に穴を開けたものをすっぽりかぶって、穴から頭だけ出して木の下に座り、お地蔵さんのようにじっとしたままシャワーが過ぎるのを待つのです。上空から落ちて来る雨水は驚くほど冷たく、美代子さんはビニールなしでずぶ濡れになる気はしません。
その日の昼近く、晴れわたった空と海原が一体になって見渡す限りがエメラルド色にまぶしく輝く中を、白波を蹴立ててやってくるスピードボートがありました。美代子さんは目を細めてボートを見つめました。毎日、多くのスピードボートがこの島の近くを通ります。ここはコロールから、もっと南のペリリューという大きい島に行く航路になっているからです。しかし、このボートはこちらに向かって進路をとっています。どうも沢山の人が乗っているようです。やがてボートは環礁の切れ目からラグーンに入って来ました。美代子さんは立ち上がり、手を額にかざして目を凝らしながら浜に出て行きました。
やがて遠目にも、そのボートがダニエルさんの赤いペンキの木造ボートであることが見えてきました。美代子さんとマイケルさんがこの島に来る時に使った、あの小さい赤いボートです。やがてゆっくりと渚近くに来てエンジンを切ったボートからは、次々と大柄なアメリカ人が5人も降りて来ました。今日もまたあの小さい木造ボートは、不相応に重い荷を積んでここまでやって来たわけです。アメリカ人たちはみなマイケルさんの友達で、パラオでボランテア活動をしています。美代子さんとマイケルさんが来た時に、船の舵をとってくれた大きくたくましいダニエルさんの姿はありませんでした。
「ハーイ、ミョーコさん。元気だった?」ボートのロープを引っ張って先頭に立ってジャブジャブと浅い海を歩いてくるのはライアンさんです。背が高く、金色の髪の毛に金色の胸毛を生やして、灰色の美しい目をしたハンサムな青年です。ライアンさんは農業と畜産が専門で、バベルダオブ島というパラオで一番大きい島の奥地にある農業高校の先生をしています。マイケルさんとは大変仲の良い友達です。
ライアンさんのすぐ後ろには、黒い髪で小柄なビルさんが白い歯を見せて笑っていました。鼻の下にメキシコ人風の立派な髭をたくわえているのですが、それが丸い顔にとても良く似合っています。表情豊かなクリクリした目の周りには、いつでも笑う用意があるというように笑いじわができています。マイケルさんと同じようにビジネスの指導をしていますが、住んでいるのは南のほうのベリリュー島です。手には大きなカワハギやサージャント・フィッシュを何匹かロープに通して下げています。ここに来る途中で捕まえて来たのでしょうか。
後ろの方から来る二人の女の人は、美代子さんも良く知っています。二人とも美代子さんと同じパラオ高校の先生ですから、普段から教員室で顔見知りです。二人とも英語を教えています。一人は優しい目で笑顔の優しいリンダさん、もう一人は直毛の金髪をきりりとポニーテールにしたいかにもしっかり者という感じのナンシーさんです。
ナンシーさんの隣にいるのはマックさんです。コロール島でビジネスの指導をしています。中肉中背、物静かで目立たない人で、美代子さんは話をしたことはありません。ナンシーさんのボーイフレンドで、二人はコロールで一緒に住んでいます。
みんなはボートを浜に引き上げ、積んできた3個の大きいクーラーボックスを木陰に運びました。リンダさんが中を見せてくれましたが、肉やパンやチーズやビールやワインがぎっしり詰まっていました。美代子さんは思わず歓声を上げました。
「すごいでしょう?今夜はパーテイーよ。私たちテントも持って来たからね。今夜はみんなここに泊るの。明日、コロールに帰るわ。」
「わあ、嬉しい。来てくれて良かったわ。毎日毎日風がすごくてね、まったく海に出られなかったの。魚なんて全然食べていないのよ。」
「まさか。信じられないわ。コロールのほうは毎日静かな良い天気よ。ここに来る途中で魚を捕るのだって、何の問題もなかったわよ。」
ボートが来たのに気がついたのでしょう、マイケルさんも小屋作りを中断してやって来ました。ここにいるマイケルさんの友達は連絡を取り合ってコロールで落ち合い、美代子さんやマイケルさんが無人島でどんな暮らしをしているか見に来てくれたのです。
「ミョーコさん、これを見て。」とナンシーさんが広げたのは、網のハンモックでした。「どこか海の見える素敵な場所に架けよう。どこが良いと思う?」
リンダさんとナンシーさんと美代子さんは協力して、浜辺に近い2本の松の間にハンモックをしっかりと結びつけました。そのあたりは木がたくさんあって、気持ちの良い木陰ができています。
ひとしきり、荷物の整理や情報交換が終わると、男の人たちはマイケルさんの小屋を見にどやどやと出かけて行きました。リンダさんとナンシーさんは、ハンモックに互い違いに寝そべってさっそく昼寝です。美代子さんは密かにハンモックが破れるのではないかと心配しながら、男の人たちが何をしているのか見に行きました。
行ってみると、訪ねてきた3人の青年たちは小屋の前の浜辺に思い思いに寝そべっておしゃべりをしていました。マイケルさんは屋根の梁に登って、一人で働いています。美代子さんはライアンさんの隣に腰を下ろしました。
「ねえライアンさん。私のバナナがいなくなったという話、知ってる?」
「うん、聞いた聞いた。ダニエルが話してくれたよ。その後どうなったの?」
ライアンさんはむっくり上体を起こして、砂のついた手をばたばたと叩きました。美代子さんは今までのいきさつを一生懸命に英語で話しました。マイケルさんは、美代子さんのたどたどしい英語に慣れていますから何を言っても良くわかってくれるのですが、美代子さんにとって、英語で長い話をするのはまだ難しいのです。しかし、ここにいるアメリカ人たちは、みな英語が上手ではないパラオの現地の人と毎日会話をしながら仕事をしています。ライアンさんは辛抱強く最後まで聞いてくれました。傍でビルさんもマックさんも耳をすませています。
「だからね、私、もう一度あの島に行ってバナナを探したいの。来たばかりで悪いけど、スピードボートを出してくれたら嬉しいんだけど。この天候ではいつカヌーを出せるかわからないから。明日でも良いのよ。もう一度行って探したら、私は気が済むの。」
ライアンさんは「どうする?」というように傍らのビルさんとマックさんを見ました。ビルさんは鼻の下の立派な髭を動かして微笑むと、「じゃあ、行こうよ。」と言って軽々と起き上がりました。マックさんも立ち上がりました。
ライアンさんは梁の上のマイケルさんに向かって「来るかい?」と大声で尋ねました。マイケルさんには今までの会話が全然聞こえていなかったのでしょう。梁の上から驚いたように「どこに行くの?」と言いました。美代子さんがバナナの島に行くと言うと、マイケルさんは首を振って、手で蠅でも追い払うようなしぐさをしました。ボートに戻る途中、みんなはリンダさんとナンシーさんが寝ているハンモックのそばを通りました。ライアンさんが「隣の島に行くよ。来る?」と声をかけましたが、二人は曖昧に手を振っただけで返事もしませんでした。
美代子さんは三人が快くボートを出すことを承知してくれてとても有難いと思いました。本当は、バナナにとって見知らぬ三人と一緒に行くのは、うまくないのですが仕方ありません。男性たちは、今海から引き上げたばかりのボートを水に戻し、バナナの島に向けて出発しました。カヌーを漕げば一時間以上もかかる距離ですが、いくら小さいボートでも、これはモーターがついていますからほんの15分くらいでバナナの島に着いてしまいました。そして、バナナはやはり出て来ませんでした。一時間ほど探しまわった後、もう引き上げようということになって、美代子さんはすごくがっかりしている自分に気がつきました。無意識に、バナナに又会えるかもしれないという僅かな可能性にずいぶん期待していたのです。もしバナナがまだ生きていて、そして美代子さんのことをまだ覚えているとして、美代子さんだけが浜に残って静かに待てば、バナナは安心して出てくるかもしれませんが、美代子さんはもうそんな勝手を言うわけにはいきませんでした。限りあるガソリンを使ってバナナの島まで往復してくれて、一緒にバナナを探してくれて、みんなはもう充分に親切にしてくれました。美代子さんはみんなに感謝して、一緒にレオさんの島に戻りました。
