第2章 13
ウニとしゃこ貝
しばらく休んで美代子さんのめまいと頭痛は収まりました。その後、美代子さんは教科書の仕事をしたり、うつらうつら昼寝をしたり、バナナのことを気に病んだりして過ごしました。度々沖のほうを見るのですが、マイケルさんの姿はまったく見えません。水平線近くの環礁の上を歩いている人影が見えるのではないかと期待して、目を凝らして見るのですが、砕けて飛び散る波の飛沫が見えるばかりで、人影はありません。4時間経ち、5時間経ってもマイケルさんは帰ってきません。太陽がだんだん傾いていきます。引いていた潮はまた満ちて来ました。この頃になると、美代子さんは心配のあまり他のことには手がつかず、マイケルさんの姿を探して海ばかり見ていました。マイケルさんに何かがあっては大変です。バナナがいなくなったどころの騒ぎではありません。美代子さんは心臓がドキドキしてきましたが、とりあえず美代子さんにできることは何もないのです。
午後、陽が弱くなった頃に、美代子さんは再びウニを捕りに行くことにしました。潮が満ちてきた今、ウニは今朝よりずっと多く、それも渚のすぐ近くで2・3個ずつ海底に集まっていました。バケツはじきにウニで一杯になりました。美代子さんはマイケルさんの姿を求めて沖のほうを振り返りながら浜に帰りました。
机の上の本や筆記用具を片付けて、手袋をはめ、美代子さんはナイフでウニを割って、貝のお皿の上に黄色い身を出していきました。日本で寿司だねにするおいしいところです。ダイビング用の厚い手袋をしていても、ウニの刺は鋭く美代子さんの手を刺しました。ウニの刺は鋭いですが同時に非常にもろく、肌を刺したら折れてそのまま肌の中に破片が残ります。美代子さんは肌の中に残ったウニの刺は後で痛むということを知っていましたが、それはウニに手を出した人が払わなければならない代償です。時間をかけて丁寧に身を出していきましたが、ウニはどれも痩せていて美代子さんをがっかりさせました。
ウニの殻を割りながら度々沖を見て注意していたにもかかわらず、美代子さんがウニを割って顔を上げたら、マイケルさんがもう波打ち際のすぐ近くをこちらに向かって歩いていました。自然の中では不思議なことがいくつも起こります。マイケルさんは銛を片手に持って、片手にはラグビーのボールほどの大きさのしゃこ貝をひとつ抱えています。美代子さんは嬉しくなって走って浜まで出て行きました。マイケルさんは魚を持っていませんでした。
「ハイ、ミョーコさん。魚、全然いなかったよ。しゃこ貝だけ。」と、マイケルさんは言いました。今日一日で真っ黒に日焼けしています。環礁に打ちつけるあのすごい波では、魚も出歩かないのでしょう。波が高く潮流の激しい危険な環礁の周囲で一日漁をして無事に帰ってこれたのですから、それだけでも良かったと思わなければなりません。それにしても手頃な大きさのしゃこ貝です。
「私はウニを集めたから、今夜はしゃこ貝とウニの晩御飯ね。」
しゃこ貝は大変大きく育つ二枚貝で、美代子さんはダイビングをしていて、直系一メートル以上もある大しゃこ貝を見たことが何度もあります。貝の本体は大きく丸くふくらんで、口は波状にかみ合い、大変形の美しい貝です。白い貝ですが、時々大変きれいなあわいピンクや上品な黄色が出ることがあります。今、マイケルさんが持って帰った貝も、外側がきれいなピンク色をしています。貝は厚く重く、これくらいの大きさになると美代子さんは片手で持つことができません。パラオ人はこの貝の大きな貝柱を刺身で食べます。
マイケルさんがシャワーを浴びている間に、美代子さんは急いで火をおこし米を火にかけました。美代子さんはウニの身を全部出し終わりましたが、バケツに山盛りとったウニも、食べる部分だけを見れば茶碗に一杯分の量にしかなりませんでした。次に、美代子さんはしゃこ貝の蝶番のそばにある裂け目から器用にナイフを差し込んで腱を切り、貝を開きました。大きな貝ですから肉も多いのですが、本当においしいのは貝柱だけで、あとの部分はゴムのように堅いばかりです。しかし美代子さんは今は全てを食べるつもりです。貝柱を刺身に、残りは細かくきざんで薄い塩味でスープにするのはどうでしょうか。
その日の晩御飯でおいしかったのは貝柱だけでした。ウニは身が貧弱な上に味も薄く、美代子さんをがっかりさせました。しゃこ貝のスープはうまみがまるでなくて、薄い塩水にゴムの破片を浮かべたようでした。二人が奪ったしゃこ貝の命に敬意を表して二人は全部食べましたが、まずいものはまずいと思わざるをえません。美代子さんは自然から食べ物を得るということの難しさに内心驚きました。美代子さんが深くも思わずに町の魚屋や八百屋で子供の時から買っている食糧は、自然が産出した最良のものばかりなのです。人類の歴史が始まって以来、おいしく食べやすいものに巡り合うまで、人はどれほどまずいものを辛抱して食べ続けてきたのでしょうか。