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第2章 12 
マイケルさん、食料探し
子安貝と ハゴロモ 貝

 翌朝起きて浜辺へ出てみると、砂浜は昨夜二人があちこちを掘り起したままに、まるでブルドーザーでも通り過ぎたようなひどいありさまでした。蟹を捕まえるには、本当は餌をつけて篭のようなものにおびき出して捕るものなのでしょう。餌も篭もない二人の企ては空振りに終わりました。透明な蟹たちにとっては恐怖の一夜だったでしょうか、それとも蟹から見れば人間たちの動きはあきれるほどのろくさくて、小さなはさみを振り上げてみんなで大笑いに笑った一夜だったのでしょうか。

  

 今日は雲ひとつなく晴れ上がって朝から暑く、そして相変わらず強い風の吹き荒れる日です。潮は大きく、朝食を食べ終わってマイケルさんが海に出る用意ができた頃には、目の前のラグーンの海水は遥か向こうの方まで引いていました。昨日と同じに、水平線近くの環礁には波が打ち当って高く飛沫が上がり、雷のような地に響くにぶい遠鳴りが聞こえます。マイケルさんはダイビング・シューズを履き、水中マスク、シュノーケル、足ひれ、銛を手に持ち、脚にはナイフを縛りつけ、腰には魚のえらに通すロープを巻きました。美代子さんと違って、マイケルさんはたっぷり日焼けをしようと思っていますから、海水パンツだけでシャツを着ません。

 「気をつけてね。危ないことはしないでね。」と、美代子さんはマイケルさんい言いました。マイケルさんだってよくわかっていることですが、環礁の外側に打ち寄せる波というのは大変危険なものなのです。波ばかりでなく、環礁の周りにはいつも強い海流があって、一度それにつかまったら泳ぎ戻ることはほとんど不可能です。マイケルさんは頷くと美代子さんに手を振って、遠浅になった海を沖に向かって歩いて行きました。マイケルさんの姿はどんどん遠去かっていきますが、水はまだ膝のあたりです。マイケルさんはラグーンを横切って環礁に行き着くまで泳ぐ必要がないかもしれません。美代子さんは、ベンチに座って遠去かるマイケルさんの後ろ姿をずっと目で追っていましたが、ちょっとよそを見てから目を戻したら、不思議なことにマイケルさんの姿はもうどこにもありませんでした。

  

 美代子さんは教科書作りをしてもよかったのですが、マイケルさんが食料を探しに行っているのだから、自分も何か食べる物を手に入れよう、という気になりました。引き潮のラグーンにはいろいろな生き物が取り残されています。色鮮やかなヒトデはたくさんいますが、これは食べられません。きゅうりのような黒ナマコも水溜りの中にごろごろ転がっています。ナマコは酒の肴として酢醤油でちょっと食べるぶんには珍味で良いかもしれませんが、美代子さんはあのナマコをたくさん食べてみようという気にはなりません。コリコリと硬いばかりであまりおいしくないのです。ウニはどうでしょうか。美代子さんはずっと以前このあたりでよく見かけるウニは食べられる種類だということを誰かに教えてもらいました。ウニは普通は岩場にいる生き物ですが、たまには砂地にも出てきます。こんなに大きく潮が引いているのだから、もしいたら見つけるのは簡単なはずです。

  

 美代子さんは立ち上がって海に出る用意をしました。足を保護するためにダイビング・シューズを履き、シャワー用のバケツを持ち、手袋をしました。ショートパンツに長袖のシャツを着ています。帽子はかぶりません。パラオの海は砂が真っ白に輝いているので、砂からの反射で帽子をかぶっていても下から日焼けしてしまうのです。それに、こんなに風の強い日には、帽子は邪魔になるばかりです。

  

 遠浅になったラグーンには様々な生き物がとり残されていました。美代子さんは海がまだ足首ほどの深さの場所で、ぷっくりと丸い子安貝を一つ見つけました。あまり大きくありませんが、濃い茶色にきれいな黄色い斑模様がはっきりと出ています。美代子さんは貝殻の収集をしていますから、この子安貝は持って帰ることにしました。子安貝には毒針があります。美代子さんは手袋をした手で注意深く貝を取り上げ、バケツの中に入れました。生きている貝ですから、後で身を出さなければなりません。

  

 しばらく進んで、振り返ると椰子の木の下のベンチが小さく見えるようになっても、海はまだふくらはぎくらいの深さです。やがて足の下でシャクシャクと何か繊細なものが壊れる音がしました。ダイビングシューズを通して、何かを踏みつけた感触がします。しゃがみ込んでよく見ると、その辺一帯にはハゴロモガイがたくさん生息していました。ハゴロモガイは20センチくらいの、半開きの扇のような細長い三角形の二枚貝で、砂の色とよく似た濁った白色をしています。貝殻は非常に薄く、簡単に押しつぶすことができます。波型の筋がいくつも通っていて、縁はギザギザでレース編みの花瓶敷きの縁のようです。この貝が、蝶番を下にして弱弱しい繊細な縁をわずかに砂から出して、潮が満ちてくるのを待っていたのです。美代子さんはその群れの中に足を踏み入れたのでした。美代子さんが歩くと、その足の下でレース編みの貝は無残な音をたてて壊れました。一歩進む毎に、多くのハゴロモガイがぐしゃぐしゃになります。海はあまりに浅くて、泳いで移動することもできません。美代子さんはかがんでハゴロモガイを二つ、丁寧に掘り起こしました。こんな繊細な貝をちゃんと保存できるかどうか自信はなかったのですが、貝が壊れる音があまりに痛ましかったので、二つほど持って帰る気になったのです。

  

 浜からさらに離れた所で、やっと数個のウニがかたまっているのを見つけました。数個では夕食のおかずには足りません。沢山集めるには相当あちこち探し回らなければならないようです。この頃になると美代子さんは暑さで頭がクラクラしてきました。空はまぶしすぎて見上げることもできません。美代子さんは足元の暖かい海水を手ですくって頭にかけました。少し頭が冷えましたが、それにしても暑くてどうしようもありません。めまいがしてきました。これでは脱水して気絶してしまいます。パラオに来た当初は、南洋の明るい海が嬉しくて暇さえあれば海に潜っていた美代子さんも、この頃は珊瑚や熱帯魚の珍しさも薄れて、暑さばかりが気になるようになりました。美代子さんは目の前のウニをバケツに放り込むと、とりあえず浜に引き上げることにしました。早く日陰に入りたい一心でバシャバシャと騒々しい音を立てながら浜に戻ると、美代子さんは先ずバケツに海水を入れて涼しい木陰に置きました。そして倒れるようにベンチにひっくり返ってめまいが治まるのを待ちました。頭痛もしてきました。それにしても、こんなものすごい炎天下、手の平ほどの陰すらない大洋の只中の環礁でマイケルさんはいったい何をしているのでしょうか。大丈夫でしょうか。美代子さんは心配になってきました。

2010 - present
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