top of page
第3章 27 
そして十年後

 美代子さんは今、庭の緑の芝生に暖かい春の雨がキリのように降りかかる様を、居間の窓から眺めています。ここはアメリカ、シアトルという都市です。パラオの日々は遠くの昔となりました。あれから十年という月日が過ぎたのです。美代子さんはマイケルさんと結婚しました。レオさんの島で、一人黙々と小屋を作っていたマイケルさんは、今ではサラリーマンとなって、毎朝背広にネクタイを締めて会社に出勤します。そして、美代子さんは今でも日本語を教えています。

    

 美代子さんは、両腕で抱えてもずっしりと重い太った茶色の縞猫をよいしょと抱き直しました。ウイッキーという名の5歳になる雄猫です。美代子さんは、しかしバナナアイランドとバナナのことを決して忘れません。バナナはあれからどうしたのでしょうか。バナナは、美代子さんの猫になるよりは、ジャングルで鼠を追いかける生活を選びました。島の生活は厳しいはずです。バナナはもう生きてはいないでしょう。子や孫に囲まれて安らかに死んだでしょうか。美代子さんにとっては永遠に、別れた時のままの、一歳足らずの子猫のバナナです。

    

 十年の月日の間には色々なことがありました。美代子さんは結局、パラオに四年いました。マイケルさんは美代子さんに合わせて、滞在を延長しました。そして、美代子さんとマイケルさんはアメリカで結婚したのです。マイケルさんは、バーベキューパーテイーでビルさんが言っていたあのアリゾナ州の大学院に入り、修士の資格を取りました。マイケルさんは今では大変上手に日本語を話し、会社では日本人と混じって仕事をしています。

   

 イボバン農業高校の先生だったライアンさんは、その後待望のヒヨコをたくさん手に入れ、学校に大きな養鶏所を作りました。やがて、コロールの町のマーケットにも新鮮な卵が出回るようになったのです。

    

 美代子さんとマイケルさんは度々イボバン高校を訪ねました。イボバン高校は海に面したジャングルを切り開いて作られた全寮制の学校です。海にはジャングルから広い川が注いでいました。美代子さんとマイケルさんは、コロールからカヌーを漕いで、島伝い、岸伝いにイボバンまで行き、それからさらにカヌーで川を遡って奥地の滝まで旅をしたこともありました。この旅で、美代子さんは初めてワニを見ました。滝の上にはこの島を横断する道路が作られていて、建築会社がブルドーザーを持ち込んで仕事をしていたのは興ざめでしたが、夜、滝壺にテントを張った美代子さんとマイケルさんは、この世のものとも思えないほどの大量のホタルに度肝を抜かれました。レオさんの島の夜光虫に優るとも決して劣らない、美しくも迫力のある光景でした。環境の変化に弱いホタルですが、今でも変わらずにあの滝壺に群れていてほしいものです。

    

 ライアンさんは、美代子さんとマイケルさんが島での休暇を終えてからじきに、自分も休暇を取って、レオさんの島で一人で何週間か暮らしました。そして、島にいる間、マイケルさんの小屋を引き継いで作り続けました。美代子さんはずっと後になってレオさんの島に行く機会がありましたが、小屋は相変わらず屋根がないものの、床はすっかり出来上がっていて、いかにも具合良さそうな昼寝小屋になっていました。

    

 ライアンさんはバーベキューパーティーの夜に言った通り、パラオの滞在を延長してイボバンに残り、その後、シカゴの大学院で修士の資格を取りました。アメリカ政府に頼まれて技術指導のために、再びパラオに行ったこともあります。そのころ、美代子さんとマイケルさんはもう今のシアトルに住んでいましたが、ライアンさんは手紙をくれて、レオさんの島に行ったら小屋は誰かが屋根を葺いて、今でもちゃんと立っていたと教えてくれました。

    

 笑顔の美しいリンダさんは、アトランタに帰って就職しましたが、何と、赤いペンキの木造ボートを運転した設計技師のダニエルさんと結婚しました。女の子と男の子に恵まれ、クリスマスカードには毎年子供たちの写真が貼られています。女の子の笑顔はリンダさんの暖かい笑顔そのままです。

    

 ナンシーさんとマックさんの消息は一時わからなかったのですが、マイケルさんがまだアリゾナの大学院にいた頃、学校の校庭でマックさんにばったり出会ったのでした。マックさんもビルさんの話でこの大学院を選んだのです。髪をきりりとポニーテールにしたナンシーさんは男の子の母親になっていました。マイケルさんはマックさんより先に大学院を卒業しましたが、その後マックさんも卒業し、ナンシーさんは二人目の男の子を出産しました。美代子さんは二人が今どこに住んでいるか知りません。手紙が転居先不明で戻って来てしまったのです。

    

 ビルさんはもうこの世にはいません。ビルさんはパラオを出た後、台湾に行きました。台湾に行ってほんの半年くらいで、自分が末期の癌であることを知らされたのです。ビルさんはアメリカに帰らず、台湾で死ぬことを選びました。一人の台湾女性と出会い、深く愛し合うようになっていたからです。美代子さんとマイケルさんはアリゾナにいた頃、コロラド州のビルさんの両親から手紙をもらい、それでビルさんの最後の様子を知りました。いよいよビルさんの死期が近づいた時、両親は台湾に飛び、ビルさんは両親と恋人に見守られて亡くなったということです。マイケルさんもマックさんもバーベキューパーテイーの時の会話がもとでアリゾナの大学院に行ったというのに、ビルさん自身の人生はアリゾナの手前で終わってしまったのでした。

    

 このシアトルの家の居間には、一枚の素晴らしい写真が掛かっています。海水パンツ姿のライアンさん、ダニエルさん、マイケルさん、そしてビルさんがパラオの小島の白い砂浜に並び、全員が銛を砂に立ててカメラを見て笑っています。全員が健康と幸福に輝いています。マイケルさんがこの写真の前に立ち止まり、しみじみと、

 「みんな年取っていくのに、ビルだけが24歳のままなんだね。」と言いました。

 美代子さんは、寝る前にテントの網越しに見たビルさんの満面の笑みが忘れられません。ヤシの実のパカパカというリズミカルな音が今でも耳に残っています。

    

 あのカヌーはどうなったでしょうか。マイケルさんはパラオを去る前、カヌーをコロールに住むジョニーさんというビジネスマンに売りました。ジョニーさんは旅行会社を経営していて、その頃やっと増えてきた日本から来る旅行者のためのツアーを組んだりしていたのです。そして、ジョニーさんはおあつらえ向きなことに、コロールのすぐ近くに、それはそれは小さな無人島を一つ所有していたのです。島は端から端まで一目で見渡せるほど小さく、可愛らしい砂浜と、申し訳程度のヤシの木の茂みがあります。日本人旅行者をこの島に連れて行くととても喜ぶので、ジョニーさんは旅行者が自由に遊べるよう、あのカヌーを島に備え付けておくことにしたのです。美代子さんが横木の上で何十匹もの魚を開いた時につけたナイフの傷もそのままに、カヌーはジョニーさんに買われていきました。

    

 美代子さんは、居間の壁一面を占める飾り棚の貝のコレクションに目をやりました。日射病で卒倒せんばかりだったあの暑い日に手に入れた子安貝とハゴロモガイも、沢山の貝の山のどこかにあるはずです。マイケルさんが遥かかなたの環礁で、一日かかって見つけてくれたラグビーボールくらいの大きさのシャコ貝は、電話と一緒に小テーブルに乗っています。年月が経って、外側の淡いピンクが褪せてきました。

    

 あんなに美代子さんを夢中にさせた子供時代の心の中の無人島は、レオさんの島で暮らしてからは、はっきり言って色が褪せてしまいました。今は、美代子さんの心の奥深く、靄に包まれて眠っています。

    

 あれから、パラオでは多くの人があの島をバナナアイランドと呼ぶようになりました。パラオのたくさんの無人島は、そのほとんどが名無しです。必要があれば、島は持ち主の名で呼ばれたりしますが、たいていは名無しでも差し支えはないようです。事情を知っている人も知らない人も、あの島をバナナアイランドと呼びました。美代子さんは時々、今でもパラオの人はあの島をバナナアイランドと呼んでいるだろうか、と考えます。あの島にはバナナの木なんてないのに、何でバナナアイランドなんだろうと、不思議に思う人がいるかもしれません。

    

 美代子さんの心の中では、バナナは今でも真っ白に輝く砂浜の真ん中で長い尻尾を体に巻きつけて行儀よく座り、沖に浮かぶ美代子さんとマイケルさんのカヌーを首をかしげて見続けています。

 

 

                                      終わり

2010 - present
2010 - present
canoesRetirement_edited.png

カヌーの隠居先

momImOK_edited.jpg

​ママ、また来てね

IMG_7032.heic

World of Collage with Paper and Fabric

Unauthorized reproduction prohibited.

作者に認定されていない複製は、禁止されています

bottom of page